世界で最も長生きした人、トーマス・パー。   by リワキーノ  2011.03.01

家内に頼まれて図書館から借りてきた『汚れた腸が病気をつくる・腸をクリーンにする究極的方法』
(バーナード・ジェンセン著)に驚くべきことが書いてありました。この本自体にはあまり興味は無かっ
たのですが、目次をぱらぱらとめくっていたら「世界で最も長生きした人」という章があるのでそこを
読んでみて初めてトーマス・パーのことを知ったのでした。
その章の核心の部分は下記のようなものです。

ウエストミンスター寺院の地下納骨場には英国史上有名な人たちの遺骸がぎっしりと並び、彼ら
への追悼文を刻んだ石版は、広大な寺院内部の壁を覆っている。その中にごく小さな石版がある。
これが実はキラ星のごとき諸公や詩人に捧げられた見事な大理石よりずっと興味深い一枚なのだ。
それにはこう記されている。
「トーマス・パー。西暦1483年、サロップ郡に生まれ、その生涯は10人の王、エドワード
4世、エドワード5世、リチャード3世、ヘンリー7世、ヘンリー8世、エドワード6世、メア
リー、エリザベス、ジェームズ1世、チャールズ1世、の治世に及んだ。1635年11月15
日、ここに眠る。享年152歳




パーがウエストミンスター寺院に埋葬される前、彼の経歴は入念に調査された。彼が生まれた村
の教区記録によれば、洗礼を受けたのが1483年。法律上の書類と裁判所記録には、1560
年に父親から小さな農場を受け継いだこと、その3年後、80歳で妻を迎えたことがはっきり証明
されている。さらに1605年、122歳で再婚。そればかりか130歳を超えたときには、
私生児を産んだ女性から子供の父親だと訴えられ、それが事実であることを自ら認めたほどだ。
彼は生涯、農夫だったが、そのあまりの長寿ぶりに国王が興味を持ち、その秘密を探ろうと彼を
宮殿に招いた。
かくしてパーは生涯最後の日々を宮殿で過ごすことになった。歴史が伝えるところでは、比類無
き才知と驚異的な記憶力によって大変な人気者になったという。なにしろ10人の国王の治世を
生きてきた人物である、体の細胞だけでなく脳細胞だって若々しく記憶だってよい訳だから、昔
話のネタはおいそれと尽きなかっただろう。
ついにパーが死ぬと、チャールズ王は、彼がそんなにも長生きした理由を突き止めるため、有名
な外科医ハーベイ(血液循環の発見者)に命じ、死体解剖を行わせた。ラテン語で書かれ、今も
保存されているその医師の報告書によれば、パーは慣れぬ王室のぜいたくな食事に耽溺したせい
で『急性の消化不良』を起こして死んだという。
その老人の内臓器官はすべて完璧な状態だった。しかもヘーベイが描いた解剖図によると大腸は
きちんと正常な位置にあり、あらゆる点で青年の器官と遜色がないと但し書きがついている。


驚きましたねぇ。3世紀を生きているんですよ。
100歳以上生きた人は多くいますから3世紀にわたって生きるというのは珍しいことではないですが、
ただそれは1900年に生まれ、2001年まで生きたという風に二つの世紀はほんのちょっとかすった
だけという程度なのに、このパー爺さんは最初の15世紀は18年、最後の17世紀は35年間も生き
たのですからまさに3世紀を生き抜いたと言えます。
しかもその生きた時代の英国は歴史上もっとも波乱の多かったときで、薔薇戦争の時代に産声をあ
げたパーさんは、6人も王妃を持ったヘンリー8世(そのうち自分の都合で2人を離婚、2人を処刑)の
ことも、プロテスタントを迫害してブラッディ・メアリー(血まみれメアリー)とあだ名されたメアリー女王の
ことも、スコットランド女王メアリー・スチュアートが長い幽閉ののちに処刑されたことも、スペインの無
敵艦隊が来襲してエリザベス女王の艦隊によってこてんパーにやられたことも、皆耳にし、宮殿で美
食に耽溺しなかったら清教徒革命まで目撃することになったかも知れず(もっともそのときは自分の
保護者チャールズ1世が首を切られる姿を見ることになるのですが)、その生涯が西洋史好きの人間
でも暗澹たる気持ちになるような陰謀と流血の横行した大変な時代のまっただ中だったのです。
なにしろ、墓碑銘に記された10人の王はエドワード5世、エドワード6世、ジェームズ1世を除けば英国
史上超有名な王ばかりで、それもエリザベス1世以外、あまり結構なエピソードを持っていないのです。
リチャード3世とヘンリー8世はシェークスピアの戯曲のタイトルにもなっています。
9歳で戴冠し、15歳で死去して存在感のほとんど無いエドワード6世はマーク・トウェインの小説「王子
と乞食」のモデルとなっています。
このレポートでウイキでエドワード6世のことを調べたら、何と、父王ヘンリー8世の罹患した梅毒をうつ
され、それがもとで若死にしたとか。
ヘンリー8世は歴代の英国王中、一番のインテリであり、文化人だったそうですが、夫として父親として
は最悪の人物ですね。

しかもこのパー爺さん、122歳で再婚するだけでなく、130歳で不倫して子供を作ったというのですから
呆れます。
神話的話と思っていた旧約聖書のアブラハムが100歳で嫡子イサクを作った話とかがにわかに信じら
れるようになってくるではないですか。
こうなってくると神武(127歳)、崇神(119歳)、応神(111歳)、仁徳(110歳)、などの古代の天皇がみな
110歳以上だったという日本書記の記述もあながちでたらめとは決めつけられなくなりましたね。
スコッチウイスキーのオールドパーはこのトーマス・パーの名前から由来するそうです。